【2019年立入禁止】遠い遠い東チベットの絶景、アチェンガルゴンパ - 後編
今はもう見れない、ラルンガルゴンパ
死ぬまでに見たい風景、もう一度見たい風景が見れなくなる。
そのことを身をもって感じさせてくれた東チベットの絶景「ラルンガルゴンパ」と「アチェンガルゴンパ」。前回は、外国人の入場規制が行われる前に行ったアチェンガルゴンパまでの道のりをお伝えしました。
今回は、アチェンガルゴンパの絶景と出会った後編をお伝えしたいと思います。
ここがアチェンガルゴンパ
ガンゼからアチェンガルゴンパへの向かう道の最後は一本道。そしてその先に厳重な検問がありました。この町に出入りする人は外国人や中国人そしてチベット族であれ、出入りが厳しく制限されます。
そして、いざ入境(?)した先はきれいに整備された道路を歩きます。
いてもたってもいられず、さっそく通り沿いにあるホテルに部屋を取り散策を始めましたが、近くに求めてるあの風景は見当たりません。
右に左にキョロキョロしていると丘の上に金色の仏像が見えます。
とりあえずあの丘に登って見ることにしました。
丘の上の仏像と、青い青い空
標高4000m、さすがにハァハァと息を切らしながら丘を登り、何気なく開けた左手側を見ると、出ました!求めていたあの風景です。
丘の上から見たアチェンガルゴンパ
大きく湾曲した川の中にびっしりと並ぶ家々。そしてその先には雄大な山、上には手の届きそうなくらい近い空と雲。
自然遺産と文化遺産の一つの極みといえる風景です。
写真ではなかなか伝わりずらいですが、1/1スケールで見たこの風景は圧巻です。
通常都市というのはどこまでも膨張していくものですが、湾曲した川によってエリアが抑制されています。しかしその抑制されたエリアにびっしりと家々が並ぶことで、都市としての濃密さを増しているように見えます。
また、所狭しと建つ家々の隙間を、人々が動き回るさまを見ていると、こんな辺境の地にも人々の営みがあることに、ただただ感動を覚えます…。
丘の先に隠れた都市
幹線道路からは見えない、丘の向こうに広がる絶景都市。
中国当局によって強い干渉を受けるチベット仏教ですが、今回のアチェンガルゴンパや既に取り壊しが始まっているラルンガルゴンパは、なぜここまで大きくなるまで中国当局に見つからずいれたのか。
秘密はこの地形にあるそうです。
四川省の中心都市から遠く遠く離れた場所にあるラルンガルゴンパとアチェンガルゴンパですが、時折中国当局者が近くを車で通っても、ラルンガルゴンパは谷間に、今回のアチェンガルゴンパは丘の向こう側に隠れて幹線道路から見えない場所にあり、長い間中国当局には見つからず発展を遂げることができたそうです。
実際私もすぐには見つけられませんでしたし…。
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空の近さ!
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丘の上の風景
8月に訪れたため丘の上には青々とした草原が広がり、丘の上にはピクニックをする人々もちらほら。
天気が良ければいつまでもぼ~っとできる、のどかな風景です。
尼僧の都市の中へ
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洗濯の風景
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青いプレートは住所?
丘を下り、川の内側へ行ってみました。
アチェンガルゴンパの凄いところは、この川に囲まれた内側に住むのはほとんど尼僧(女性のお坊さん)ということです。男性が入れるのは限られていて一番外側の道路のみ、それより内に入ろうとすると年配のおばさんに何やら注意されたりします。
丘の上からの俯瞰した目線ではわかりませんでしたが、人目線で改めて見るとすごいです。
テキトーに建てられているかと思いきや、各建物にちゃんと住所のようなものもが割り振られ、郵便等も届くようになっているようですね。
明らかに手作り感がある小屋の数々ですが、そのスケール感が良いです。あくまで風雨をしのぐための必要最低限の大きさで快適性はなさそうです。
しかし、家具のように小さい身体の延長のような小屋の数々がそのままチベット僧の姿に見えてきて、その小屋が所瀬町と並んでいる街並みがこのアチェンガルルゴンパの魅力そのものに見えてきます。
マニ車とコルラ
検問を通った後の大通り沿いを歩いていると、チベット仏教でおなじみのマニ車のある建物がありました。
マニ車とは一回まわすと経を一回唱えるのと同じ功徳があるとされている仏具で、それが回廊とともに建物をぐるりと一周し、チベット僧達がぐるぐると回していました。
チベットエリアではよく見かける風景ですが、チベット仏教の極彩色を一番感じれるのが、このマニ車のある建物でもあります。
火葬でもなく土葬でもなく、鳥葬という葬儀
手前が鳥葬の場
東チベットを旅行する人の多くにこの鳥葬の風景を見るのが一つの目的となっているようですが、ここアチェンガルゴンパでも運が良ければ見ることができます。場所は、検問の外側の丘に作られた葬儀場。
チベットエリアの一般的な葬儀は、「鳥葬」という手段を取ります。鳥に死肉を食べさせるという手段です。なぜ火葬でも土葬でもないのかわかりませんが、チベットよりさらに西、「火や土は聖なるもので穢してはならない」という考え方から鳥葬という手段を取る、古代ペルシャ発祥ゾロアスター教の流れがあるのかもしれません。
鳥葬の風景自体はすさまじく、数十羽のハゲワシが合図とともに死肉をついばみ、途中鳥が食べやすいよう鳥葬担当者(?)が四肢を斧で切断しながらの鳥葬風景は、正直トラウマになるほどのものだと思います。
しかし、同行したチベット族の女の子いわく、『チベット族にとって死体は魂が解放された後の抜け殻でしかなく、それが他の生命(鳥)のためになるのであれば、それは我々の喜びである』と言っていました。
死生観の違いというモノを強く感じます…。日本の当たり前なんて平気で吹っ飛んでいく考え方ですね。
まとめ
『死ぬまでに見たい風景は、いつか見れなくなる』
遠い遠い、東チベットの絶景「ラルンガルゴンパ」と「アチェンガツゴンバ」は、今はどちらも見ることできません。
同じ東チベットエリアにある九寨溝は、数年前の地震で湖の底が抜けてしまったそうです。
イランにあった泥が隆起したような都市遺跡バムも、十年以上前の地震で粉々になりました。
アラビア半島のシリアやイエメンは、激しい内戦により観光どころではありません。
旅人・観光客が求める世界中の絶景は、常に失われる危険性があるんです。
『死ぬまでに見たい絶景』は多少の無理で済むのなら、見れるうちに絶対に見に行くべきです。
もし見れなくなったとき、旅が好き名人ほど強く後悔しますから。